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2020.01.28
皆さんこんにちは。昨年10月からカクタスコミュニケーションズ株式会社、メディカルコミュニケーションズ事業部改め、ライフサイエンス事業部のヘッドに着任しました新井克久、通称“Katsu(カツ)”です。
文字通り「オールドルーキー」な私がカクタスの一員になる好機を頂きあっという間の3カ月でした。今日は僭越ながら私の自己紹介と共に過去1社の日本の会社と4社のグローバル企業勤務を通じて会得した体験談をご紹介させて頂きたいと思います。
暗黒時代〜転校続きの米国滞在と日本帰国
父が商社勤務の転勤族だったことがあり、幼少期を米国サンフランシスコ、高校卒業後に一年間英国で過ごしました。米国にはおよそ7年間おりましたがその7年の間、何と4回も引っ越しました。米国へ渡った時から帰国するまでの間、転校の連続で一時は親を恨みました(笑)。米国での転校はそれほどではありませんでしたが、米国より日本に帰国し中学校に転入したあとはまさに「暗黒時代」でした。朝礼、日直、など訳が分からず授業中に勝手にトイレに行って先生に怒られたりし、学校に行くのが最初は辛かった時期がありましたが、徐々に日本の学校の慣習にも慣れ、英語の授業では皆に頼られたりすることで信頼を得て楽しく過ごすことが出来ました。この少年期の転校の連続や「暗黒時代」の経験のおかげでいつしか新しい環境にいかに早く順応する術が身についたと思っています。
(共に米国在住時上は母、弟と。下はクラスメートと小学校の門の前で 1977年撮)
実はキャリアのスタートは旅行会社
私のキャリアの始まりは旅行会社でして、10年余り勤めておりました。特殊な渡航手配を強みにしていた会社で旧ソ連の業務渡航をはじめ多くのスポーツイベントでインバウンド手配のチームに長く在籍し、厳しい上司の指導の下、様々な国籍のアスリートや関係者と触れ合うことが出来、充実した20代を過ごすことが出来ました。実は今の妻と出会ったのもこの会社でした。
外資系キャリアの始まりと変遷
旅行のトレンドの変化や景気低迷で、結婚したばかりの私は30代後半で転職を試み、旅行業界とは無縁のSTM出版最大手のエルゼビア・ジャパンの営業職というご縁を頂きました。120年以上の歴史を持ちオランダに本社を置くエルゼビアでの日々は驚きの連続でした。方々でネイティブイングリッシュが飛び交い私と同様、幼少期を外国で過ごした仲間が多くいて(私と違い暗黒時代はない人が大半。笑)業務知識や環境に慣れるのに必死な毎日でした。オランダ本社に栄転(?)し8年間本社勤務した日本人がいて、彼のネイティブイングリッシュで外国人の前で行うプレゼン力、ディベート力に私は大きく影響を受けました(以下写真)。オランダ人は合理主義で商売上手というのは多く知られていると思いますが、古くより他国で思想・信条を理由として迫害された人々を受け入れることで繁栄してきたという自負があるため、何ごとに対しても寛容であることで知られます。私自身もオランダ出張時、そのフィロソフィーを感じることが出来、オランダ出張は毎回楽しみでした。昨今「グローバライゼーション」などと言われて久しいですが、オランダという国は何世紀も前からグローバライゼーションされているように思います。エルゼビア本社にも何回か行きましたが国籍、ジェンダーフリーで色々な意味で驚きました。
(左はエルゼビア・オランダ本社に「栄転」した友人、足立泰とオランダで 2010年撮)
2社目は業界第2位のシュプリンガージャパンで同様に営業職のご縁を頂きました。シュプリンガーはドイツの出版社ですが、私が入社した時はオランダのクルワーアカデミックと合併し、前エルゼビアのオランダ人CEOがシュプリンガーのCEOに着任した一緒に移ってきた多くのオランダ人がいました。シュプリンガージャパンに雇って頂き在職中に指導を受け、今の私の外資系サラリーマン哲学の礎となった上司、深田良治氏と一緒に仕事をしたのはこの時期です(以下写真)。2013年にアジア統括ディレクターのポジションをアサインされ、ここでそれまで無縁であった国インドに関わることになりました。優秀なチームメンバーに恵まれ、親しい友人には驚かれましたがすっかりインドの魅力にはまってしまいました。当社、湯浅、加納と初めて会ったのもこの時期です。湯浅、加納共にインド人とのビジネス経験は私よりもはるかに長いので、話を聞くために私から良くランチに誘ったりしました。この出会いが現職のご縁を繋いでくれたのかもしれません。
(初代エルゼビア・ジャパン社長、後のシュプリンガー・ジャパン社長の深田良治氏と 2009年撮)
シュプリンガーは2015年にネイチャーと合併し、ネイチャーのカンパニーカルチャーも知ることが出来ました。エルゼビア、シュプリンガー、ネイチャーは同業ですがカルチャーは三者三様で自分自身もここまで違うのかと驚きました。7,000人x2規模の会社同士のカルチャーが全く異なる合併で本社、日本オフィスでも多くの人材が流出し混沌としていましたが、この経験を通じて、コンフォートゾーンに留まることなく変化を受け止めることの重要性を改めて痛感しました。
シュプリンガーでの10年の在籍期間で様々なポジションで仕事をさせて頂きましたが2016年からはシュプリンガーヘルスケアのアジア統括ディレクターに着任しました。再びインドに出張できると喜んでいたのもつかの間、ここでのビジネスはそれまでのアカデミア向け電子ジャーナル購読営業とは全く異なる業種で製薬会社向けの資材作成や治験アウトプットのパブリケーションサポートなど新たな業務に携わることになりました。新しいチームを率いていくことと同時に新しい業務知識を得ることでかなりタフな時期でしたがここでのキャリアチェンジが2018年1月より勤めたプロスクライブ株式会社、本年10月より現職のカクタスコミュニケーションズ、ライフサイエンス事業部のご縁に繋がらなかったと言っても過言ではありません。
(シュプリンガー、ネイチャー合併後に新オフィス移転 2017年撮)
グローバル企業4社を経て学んだこと
4つの多様なカルチャーの外資系企業に約15年間勤めて感じたことなどをまとめてみました。(賛否両論あると思いますが私の私見に基づいているのでご容赦ください。)
1.外資系企業といえども日本オフィスのスタッフは日本人が大多数であることが大半。ふるまい、言動など状況により切り替えるべし。
2. ストレートに意見を言っても良いが真っ向から反対意見を何でも言って良いわけではない。相手への理解、リスペクトは不可欠。(当社代表の湯浅も別のブログ記事で日本の国際化には「相手への理解」が重要だと言っています。)
3. 日本人以上に上司への忠誠は絶対的。新しい上司が着任したら、何よりもその上司と信頼関係を構築することを最優先課題とするべき。(特にアメリカ人上司
はこの傾向強し)
4. ビジネスシーンでは基本的には常にポジティブでいるべき。日本市場の特異性やチャレンジなどグローバル上司に説明する時は細心の注意が必要。(ネガティブワードはなるべく使わない。)
5. 経営陣、体制変更は多く起こりうるので(頻繁な会社は毎年)いかに変化を受け入れ、その変化の波に乗るか。「受け入れない」という場合は会社を去る覚悟を持つこと。(当社、加納も変化に対応する大切さについてブログ記事を書いています。)
上記の内、私はNO.5が最重要項目ではないかと思います。(但しこの能力はグローバル企業に限ったことではないですよね。)
最後に、私も4社のグローバル企業に勤務して今日現在までの約15年間、紆余曲折ありましたが業界内で顧客以外の社外のコネクションを多く構築することも良いご縁に繋がったなと思っております。これから外資系企業に勤めようと考えている皆さん、すでに勤めていてこれから新しいチャレンジに挑もうとしている皆さん、この記事を通して少しでも何かが参考になれば幸いです。